「月夜のでんしんばしら」の台本を作成しながら、ずっと喋っている。
今回は特に詩を入れ込んでいる。詩だけではなく、他の宮澤賢治の作品も引用している。
久方ぶりの作り方である。
今回もそうだが、ほしぷろの演劇のほとんどは、おそらく構成演劇と呼ばれるものに近しいだろう。
きちんと構成演劇の作り方を習っているわけではないので、それに近しいもの、としか言えない。
作品の中身としては、要素が分散している。まとまりがあるわけではなく、途中で喋っている内容がが、とんでもない結びと繋がっているというわけでもない。思い付いたことを入れ子にしている。そういうものだ。
賢くやれないし、だから脚本力はないといわれるのだし、作品賞は取れないのだけれども、こうやることに意味はある。
綺麗にまとめずに、「あっ!」というものを作りたいなと思っている。ずっと思っている。
今回は、また新たに最高傑作ができている。台本ができた段階で、自分でこう思ってしまった。
これは前よりもすごい。
昨日、久方ぶりに美術の展示を見た。福島に来てからそういう話をしたり、見たりすることがめっきり減ってしまった。
枯渇していた。だから、見にいけてよかった。今の自分に必要な要素だった。
そんなことがあったからか、今回のもまたいいと思う。とてもよく遊んでいる。
お客さんが参加してくれたら本当にいいものになると思う。
あとはお客さんをどうやって作品の中、いや、舞台空間の中に取り込むかが重要だ。
問題はもう一つ。
紐がどのくらいの長さ必要なのだろうか。あと、紐に絡まることってできるのだろうか。
そのテクニカルなことが安全にできればたぶんいいのだけれども、そんなうまくいくのかな。
紐に絡まりながら芝居を見てくれるお客さんがいてくれたら嬉しい。
だからお客さんを呼ばなくては。
いや、本当にいいぞ。
いつもながら反戦の話に落ち着くのだけれども、今回は人と人とのやりとりとか、電気が戦争と結びついたりとか、まあありきたりといえばありきたりなわけで、はっと言わせる思想があるわけではたぶんない。
でも、こうやって大声で、身体を目一杯使って、何かをやるってことが減ってしまった以上、頭でいくら天才的なことを考えたとしても、それを体現できる身体がなければ、パフォーマンスをやっている意味が、僕にはあまりない。少なくても僕にはない。
だから、身体が喜んでくれるテキストができたことが、きっと1番の喜びなんだと思う。
このテキストの上に立てることが、とんでもなく幸せです。
めちゃくちゃに見てほしい、いや絡まりに来てほしい。とにかくそれを切に願うんだ。
2026年11月14日(土) 西会津国際芸術村にて。


