久しぶりに一人芝居を作っている

久しぶりに一人芝居を作っている

久しぶりに作っている。

まず、台本を作る。原作を読み、生の言葉と、他の詩を織り交ぜて、こうでもない、ああでもないと、横に縦に斜めに揺れながら、バランスを整えている。息詰まると散歩をする。違う作業をする。考えがまた一つまとまる。

今回はでんしんばしらが出てくるお話。でんしんばしらと電線をじーっと眺めてみる。言葉ではないイメージや映像がブワーッと溢れてくる。言葉だけで作っていくと、どうしても自信を持てない。この頭の中に流れてくる濁流のようなものがあり、思考停止になり、その濁流が滝のように地球を飛び越えて、宇宙まで侵食した時、ようやく現実に戻ってくる。さっきまでの自信のなさは宇宙空間のはるか遠いところに流れていって、きっとその自信のなさを宇宙に漂う何かたちが吸収をしてくれるかもしれない。そんなことを考えているうちに、自信がなかったことがなかったことになっている。その濁流が頭と体と世界とを駆け巡ったと実感した時、この作品は大丈夫だろうという確信が生まれてくる。

そこで改めて台本と向き合う。
そうすると、もう一度書き直さなきゃいけなくなる。使う言葉も変わってくる。改めて新しいものに生まれ変わる。

電線の話をする。

電線はどうみてもねじれの位置だらけである。ほぼ平行だが、ほぼ平行ではない。
交わることは決して許されない。流れている電流も電線に従い、ねじれの位置となる。
このねじれの位置がとても面白い。
交差する、ということはそれだけで綺麗だ。どういう角度であっても交差は美しい。
交差とは二次元の話だと思っている。人間関係であっても、やはり交差している。
どうやっても、交差とは二次元だ。三次元にはなり得ない。
たとえ三次元空間でランダムに線を引いたとしても、交差した瞬間二次元となる。

私たち人間は三次元の空間を生き抜いている。だから、コミュニケーションは三次元かと思われるが、簡易的に見ていくと、それは二次元に還元されていくだろう。これは諦観ではない。そのぐらいシンプルに見ることが必要な時が多い。これを複雑化して考えてしまうと、ドツボにハマってしまう。結果複雑になるのは分かりきっている。絶望をしないこと。最初から複雑に考えない。時間をかけていいじゃないか、舞台は映画とは違うのだから。

そんなことで作っている。複雑になりすぎず、シンプルになるように。
ぜひ見てほしい、きてほしい。そんな3作品を用意しています。

どうぞよろしくお願いいたします。

2026年11月14日(土) 西会津国際芸術村にて。

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